1)チューインガム業界の日の出

日本における本格的なチューインガム産業は、第二次世界大戦終了後のいわゆる戦後からと言っても過言ではありません。大正時代に「噛み菓子」と称して売り出されたとされていますが、人前で口を動かすことを慎む当時の日本人の礼儀作法・美意識になじまず、日本の市場に根付くことはありませんでした。 戦後は米国駐留軍の影響と、また欧米文化にいち早く接したいとの意識が高まる追い風もあり、急速に人々の生活の中に浸透しました。そうした中、家内工業的で小規模なメーカーが激しい競争を繰り広げ、それらの企業は全国で300社以上とも言われました。

2)統制経済下の原料入手難

チューインガム産業を取り巻く環境は、きわめて厳しいものでした。その一つは、原料の入手難であります。長い間、甘みに飢えていた人々は競って某子類を買い求める一方、物資の欠乏から政府は原料統制の強化を図りました。 特に嗜好品的な性格の強い産業には、原料統制と物価統制による容赦ない取り締まりが行われました。過去に実績を持たないチューインガム産業はその顕著なものでした。

3)菓子産業とはみなされなかったチューインガム

チューインガムの原料には、統制品が多くありました。しかも製品は、物価庁(当時)へ販売価格の指定認可を申請し、許可が下りなければ販売できないシステムになっていました。申請は業界団体が執り行うことになっていましたが、チューインガムには戦前の実績がなかったことから菓子産業とはみなされず、製菓業の組合に加入することが出来ませんでした。 そこで、この手続きを行う必要性から、チューインガム企業が集まり、申謂取り扱いの母体として「全国チウインガムエ業協同組合」を昭和24年7月に設立しました。これが今の「日本チューインガム協会」として発展していきました。

4)「日本チューインガム協会」設立前後の動き

チューインガムが、戦後の日本に芽を出してからの約10年間は、輸入制限と言う鎖国の中にあって泰平の夢をむさぼっていました。 しかし、貿易自由化の波が押し寄せ、諸外国が日本の輸入制限の撤廃を求める厳しい要求を次々に突きつける中で、日本の経済は大きく転換を迫られます。チューインガム業界は、黒船によって泰平の夢を破られた明治維新さながらに、自由化を先進諸国の経済侵略の始まりと受け取り、緊追と混乱の中にありました。

5)「日本チューインガム協会」について

当時のチューインガム業界は、関東、中部、関西と分かれ各々独自の活動をしていましたが、このままでは統一を欠いた結果となり自由化を阻止出来ないと判断し、すでに結成されていた「日本チウインガム協会連合会」を発展的に解消し、また新規の会員も巻き込んで、昭和35年1月28日に「日本チウインガム協会」として新出発をしました。 (現在の正式名称は、「日本チューインガム協会」です。)

・事業内容
(1)会員相互の親睦、連絡及びチューインガム産業の向上発展を図るための集合
行事の開催
(2)チューインガム産業の利益を擁護するための活動
(3)チューインガム産業に関する資料及び情報の収集、提供
(4)チューインガム産業に関する調査
(5)関係官公庁との連絡
(6)その他本会の目的を達成するために必要な事業

・創立
1960年(昭和35年)1月28日

・事務局
〒105-0004  東京都港区新橋6丁目9番5号JBビル6階
TEL:03-3433-5213

・会員数(2023.4.1現在)
16企業

・会長(2023.4.1現在)
牛膓 栄一

・所管官庁
農林水産省

・関連団体
全国チューインガム業公正取引協議会